一〇月六日、マドリ−ドでIMF/世界銀行の年次総会が始まった。今年は創立五〇周年にあたる特別な総会である。 五〇周年をめぐってIMF/世銀の側がその成果を誇示しつつ、今日の世界での新たな役割を規定しようとしているのに対し、NGOの側は「50年でもうたくさん」を世界共通の合い言葉に、この一年間世界各地でキャンペ−ンを展開してきた。 顔のない支配者  第二次世界大戦が終る前年の一九四四年七月、米国のニュ−ハンプシャ−州ブレトンウッズという田舎町のホテルに英国のケインズ卿、米国のモーゲンソーなど連合国の財務関係者が集まって戦後の経済体制を論議してIMF/世界銀行の設立を決めてからちょうど半世紀がたった。この時合意された、通貨・為替を管理するIMF、金融の世界銀行、そして貿易のGATT(ガット)という三つの機関をブレトンウッズ機関と呼ぶ。  実は、このうちGATT(貿易関税一般協定)は、その名のとおり協定とそれを実行する事務局があるだけで、米国の反対によって機関としては設立されなかった。が、半世紀をえて、ウルグアイラウンドの合意とともに来年、世界貿易機構(WTO)として設立をみることになっている。  IMF/世界銀行にしても、一九七二年、金とドルの兌換制度が崩壊したときに、ブレトンウッズ体制は崩壊した、と云ったものだった。ところがその後も役割を少しずつ変えて、生き延びたどころか強化され、とりわけソ連が崩壊した後の世界経済秩序の管理者として、WTOを含むこの三機関が、浮上してきている。冷戦後の世界では、政治的な対決に代わって、北と南の経済矛盾がむきだしの姿をとるようになってきている。そして国際金融機関という「顔のない」支配者が従来にもまして大きな役割をもつようになってきた。 南の国への支配を強める  世界銀行は実は四つの金融機関の集合体なのだが、第一世銀の正式名称は、国際復興開発銀行(IBRD)であり、その名のとおり第二次大戦で疲弊した欧州、日本などの復興のための融資を目的として設立された。しかし、米ソの緊張が高まったなかで欧州には米国のマ−シャル・プランによる援助金が注ぎこまれ、この面で世界銀行の果たした役割は小さかった。むしろ、その後の南の発展途上国への融資に主たる役割を見いだしていった。五〇年代から六〇年代にかけてアフリカを初めとする植民地が続々と独立していったが、長年の植民地支配のもとで経済構造自体がゆがめられ、政治的に独立はしても経済的に成り立たない状態にあった、これらの国々への開発プロジェクトへの融資を中心にしていったのである。とくにマクナマラが世銀総裁を勤めた一九六八年から一九八一年までの一二年間は南の国々への融資を中心に世界銀行は膨張しつづけた。一九六八年の融資総額は三〇〇万ドルに過ぎなかったのに、一九八一年にはドルに達している。  融資額が拡大するにつれ、南の国ぐにのNGO、住民組織、労働組合、そして欧米各国の開発NGO、環境団体などからの批判も高まってきた。世銀融資の大規模開発プロジェクトが環境破壊、人権侵害をもたらしていること、IMF/世銀による累積債務国に対する構造調整プログラムが、貧しい人びとの生活と環境を破壊していることなどが批判の中心である。 大規模開発に抗議の声  IMF/世界銀行の年次総会は、二年続けて本拠地ワシントンで開かれ、三年に一回は世界各地で開かれる。一九八八年にはベルリンで開催された。この時には、ドイツ緑の党を初めとして、ヨ−ロッパのNGO、市民団体がベルリンの街通をうめつくすようなデモを行なった、という。  一九九一年には、タイのバンコクで開かれた。その年の二月に政権についた軍事政権は、IMF/世銀総会を、国際的な認知を得る好機とした。タイのNGOは、これに対抗する国際フォ−ラムを開いたので、私も参加した。政府は、この総会のためにクロントイ・スラムの住民たちの一部を追い出し、スラムのまっただ中に豪華な国際会議場をつくった。ホテルから高級車を連ねて、会議場に集まる銀行家や、大蔵官僚たちと、それを遠くから眺めているスラムの子供達の姿は、今日の世界を象徴するものであった。  バンコクでのIMF/世銀総会に向けて遠いタイ東北部から一〇数時間もバスに揺られて30人くらいの農民達がやってきていた。バンコクに来たのは初めてという農家の女たちも多くいた。彼女たちは世銀の融資によって実施されているパクムン・ダムが村の生活を破壊するものなので中止してほしい、と訴えにきたのだった。彼女たちは自分たちの村がダム建設によって水底に沈む運命にあるにも拘らず、測量が始まるまで、ダム建設について知らされなかった、しかもその後、工事に対して反対すると警察や軍隊によるいやがらせ、弾圧が繰り返された、と怒りを込めてかたっていた。しかし、この融資は中止されることなく今年5月にタイを訪れたときには、工事は終了し、浸水が始まっていた。大型ダムの建設によって影響を受けるのは直接水底に沈む村だけではない。自然環境が破壊されることによって周囲の村村が影響をうける。貧しい農村では川から獲れる魚は貴重な蛋白質源であり、魚を近隣の村に売って暮らしを立てている漁民もいる。しかしダム建設によって、パクムン川の下流域では魚がとれなくなった。しかも発電用のダムの恩恵を受けるのは町の人びとや工場であって、こうした農民たちではない。 インドのナルマダ・ダムについては世界的なキャンペ−ンによって世銀の融資は中止されたが、ダムの建設自体はインド政府によって強行されている。  ワシントンにベ−スをおいて活動している国際河川ネットワークは、世銀の融資でこれまでにつくった大規模ダムの数は五百(九十二ヶ国)、それによって移住させられた人びとの数は一千万人と発表し、大型ダム建設が自然環境と地域住民にもたらした影響について評価を行なうまで、一切の大型ダムへの融資は中止するように提案している。  このような大型開発プロジェクト優先の融資政策の見直しが、NGOと世銀との間で論議されている問題のひとつであり、それに関連してもっと具体的には、再定住規定がある。すなわち世銀融資プロジェクトによって移住させられた人びとのその後の生活にも責任を負っていくべき、ということである。もうひとつは、当該地域の住民がプロジェクトにたいして異義を申し立てた場合にそれを審査する第三者機関の設立である。  他に、プロジェクトの企画立案段階から評価までのプロセスについての情報公開もNGOから要求していた。  IMFは依然として守りを固くしているが、世界銀行は、こうしたNGOからの要請に応える姿勢は見せている。すでに環境ガイドラインはかなりしっかりしたものが作成されているし、少なくとも情報公開、独立審査機関の設置、NGOとの対話などについては、日本政府に比べればはるかに進歩的とさえいえる。 G7が支配する  しかし、IMF/世銀は、国連関連機関ということになっているが、実態はあくまでも銀行でしかない、という根本的な問題がある。 そのことのひとつは、出資者の意向第1ということである。現在、IMF/世銀に加盟しているのは一七八ヵ国(国連加盟国は一九二ヵ国)。ソ連東欧社会主義国の崩壊で急速に増えている。しかし国連総会と違って、年次総会での決定は一国一票の原則によるものではない。出資金に応じて投票権が与えられるのである(図1)。トップは米国、次に日本である。実際の運用資金はとくに日本の拠出が米国を上回っているが出資金の比率については米国が押さえている。さらに年次総会から次の総会までの決定はワシントンで理事会が行うのだが、自国の理事を派遣できるのは米国、日本、英国、フランス、ドイツの五カ国だけで他の国々は一〇数カ国が一緒になって一人の理事を選出する仕組みになっており、その国の意向を反映させることはむずかしい。   借金漬けになった南の国々   一九七〇年代、ブラジルを初めとする中南米の国々、フィリピンなどは輸入代替工業化政策を進めるために資金を必要としていた。南の多くの国々で開発独裁といわれた政権が幅をきかせていた時代だ。他方、日本をふくめ、北の側ではオイルショックによる景気後退期で資金がだぶついていた。オイルダラ−が流れ込んだことで拍車がかかった。そこで、欧米の市中銀行は南の国々に開発資金を貸し付けた。  南の国々への無責任な貸し付けが1982年に始まる累積債務問題を引き起こしたのだった。七〇年代から八〇年代にかけて砂糖を初めとする一次産品の急激な値下がりが南の国々の国際収支を著しく悪化させ、借金を返せない状態をもたらしたのだった。  この累積債務問題の「解決」を通じてIMF/世銀は、世界経済における新しい役割を獲得したのであった。債務返済不能に陥った南の国にたいして、債務返済のために外貨獲得と財政収支の改善を優先させるパッケージになった経済政策をIMF/世銀が処方し、それに合意することを条件に、構造調整融資を行うのである。八〇年代前半から始まった、構造調整融資が効をそうして、累積債務問題は解決した、という人もいるが、実際には、北の民間銀行が南の国々のこげつき債務を抱えて倒産する危険が回避されたに過ぎない。債務自体は、一九八二年から一九九二年までにほぼ倍になっている(表1)。しかも、表2が示す通り八〇年代を通じて、南の国々は毎年、借りたお金以上のお金を返済にあてたにもかかわらず(表2)、である。八〇年代が南の国々にとって「失うばかりであった一〇年間」といわれる一因である。債務増大には日本の政府開発援助(ODA)が一役も二役も買っているのである。日本のODAは利子付きで返済しなければならない円借款の比率が高いからである(図2)。世界の批判をあびて少しずつ贈与部分を増やしてはいるが、それ以前の借款部分が債務としてのこっている。しかも、フィリピンのように累積債務にしめる円借款の多い国(図3)にとって最近の円高は実質的な借金の増大をもたらす。 暮しを犠牲にする構造調整  この構造調整政策は、ひとつにはワシントンでその国の経済政策から予算までが決められるという各国の主権を侵害するものであると同時に、その内容が社会的弱者にとって過酷なものである、という点で批判されている。  政策パッケージの一つは民営化である。バングラデシュでは国営のジュート工場が民営化されたが、ジュートの国際価格は大幅に下落しているため、民営化と同時に多くの労働者が解雇されている。一九九一年に構造調整が導入されたインドでは、電力会社が民営化されようとしており、そうなると貧しい人びとは電気を利用することもできなくなる。  政策パッケージの二番目は貿易と外国投資の自由化である。債務国は外貨を増やすために、あらゆる規制を外して外国投資を誘致することになる。従来は自国産業の保護のためにうけいれなかった産業も受け入れ、外国企業による土地取得も認める。その結果、例えばインドでは小規模生産者が倒産に追い込まれている。  もうひとつは、公務員の削減あるいは給与のカットである。これはただでさえ働き口の少ない国では新たな失業者の数を加えると同時に、公共サービスの低下をもたらす。  その他、医療、福祉、教育予算の削減は、貧しい人びとの暮しを直撃する。フィリピンでは予算の三分の一が債務返済に当てられ、軍事支出を除くと、社会サービスの資金はほとんど残らない。  こうして仮にマクロ経済としての成長を達成できたとしても、国内の貧富の格差は激しくなり、社会的な緊張が高まる。国連平和維持活動の対象となったソマリア、ルワンダがともに構造調整融資を受けた国であることは、この事実をはっきりと示している。 問われる日本の政策  世界中のNGOから批判の出されている構造調整プログラムに日本は輸出入銀行を通じて三一二〇億円を供与することを決定した(一〇月五日に調印)。  日本は、その巨額の供出金によってIMF・世界銀行に大きな影響力を行使しうる立場にいる。にもかかわらず日本がこうした多国籍金融機関にたいしてどの様な政策をもって臨んでいるかがまったく不透明である。